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*ミナペルホネンの展示会より

 

思うことを書いたり作ったりする中で
最近感じていることをつらつら書きます。

 

♦「基本法則は単純ですが、世界は退屈ではない。」

過日に読んだ『強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く』(大栗博司著)の中で
南部陽一郎氏のノーベル賞受賞講演の締めくくりの言葉として紹介されていました。

物理学の基本法則は多くの対称性を持っているのに
現実世界はなぜこれほど複雑なのか。(中略)
基本法則は単純ですが、世界は退屈ではない。
なんと理想的な組み合わせではありませんか。

この「基本法則は単純ですが、世界は退屈ではない。」という言葉に強く惹かれました。

 

♦ 実はコンセプトは多くない。

人間が考える以上、決して人間以上にはならないので
そこに原則があると考えています。

それでも一定の基準が出てくるとはいえ、
“美”ひとつとっても人の感じ方は
生まれた場所、育った環境、その人の個性がかけあわさって
多くのパターンが生まれます。

この複雑さが多様性の一助とはいえ、
“美”という基準を用いることがコンセプトの1つになります。

 

なので仕事柄「何を、どう言うか・伝えるか」のセットが基本になりますが、
「何を」という切り口はそう多くもないのもわかっています。

さらに「何を」の抽象度を上げると伝えるべき項目はかなり少なくなります。

きずな、いい人生、三方良し、などなど。

 

そういえば人間の究極のコンセプトは「愛」だと、
去年大阪でセミナーを開いたときの質疑応答の際に話したのを思い出しました。(笑)

人間のコンセプトは最終的に「愛」に集約されていくと。

「愛」といってもここで用いる意味はかなり広いです。
恋愛だけを指すのではありません。
家族愛も、友情も、博愛も、尊厳も含め、
人間は平等であるとの信念も指してます。

 

だから「どう言うか・伝えるか」が重要だし、
最近は「誰が言うか」も加味されていることです。

 

話はそれますが「誰が言うか」というのは
相応に気をつけなければならないとも考えています。

「この人が言っているから」と鵜呑みにしてしまう姿勢は
決して適切でないと思うからです。陥りやすいので自戒を込めて。

 

♦ だからこそ表現の自由度は宇宙並みに広い

なので「何を」のコンセプトは原則・基本法則にあたり多くはないからこそ、
「どう言うか・伝えるか」への、
現実世界へ表出させるブリッジが必要になります。

これはできる人にとっては簡単だけど、
できない人にとってはいくら時間があってもできない部分。

また、それぞれに専門分野が分かれるところでもあります。

画家でも文筆家でも棋士でもミュージシャンでもダンサーでも
デザイナーでも起業家でも税理士でも弁護士でも医者でも。

さらに専門分野から得意な方向性が分かれるくらい、
現実世界に対応するのには
一人の人間のできることが限られてくるのは面白いところだと思います。

全体を見るのも大事ですが、
全体を見ることも専門にもなりますしね。

 

***

最後に、ちょっとフォロー(^_^;)

宇宙並みとはいっても人間であることの限界があると考えています。
(一部天才を除く)

だから真似るつもりがなくても
結果的に似ちゃうのは仕方ないとの認識が
表現をする側は持つのではないかと思うんですよね。

パクリじゃないのよ、似ちゃうときがあるだけ。(笑)

人間だもの。

 

 

 

今日も来てくれてありがとうございます^^

それではまた!

 

*** 今日の雑談 ***

囲碁にも通じる概念ですねー(笑)