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デザイン

カタチにする責任

Posted on 2015-03-23

昨年2014年に、
有志のランチームとトライアスロンチームの
Tシャツとウエアをデザインしました。

 

♦ 見えるって、やっぱり強い。

Tシャツを含め、いつまでも目にしてしまうその強制力に
デザインの重要性、アウトプットの着地を担う仕事に意義を感じつつも、
その着地点としてのデザインが失敗すると
イメージ戦略全体がコケるリスクも再確認中です。

“言葉”が思考を規定するといわれますが、
“カタチになった見えるもの”の影響力も侮れません。

人が作ったものには、
ほぼ必ずメッセージ(情報)が込められているからです。
(うまく伝わらないことが多くても。笑)

“言葉”は、なんとなくでは得られませんから、
必ずどういうことかを自分で論理的に思考し、
そこから行動を規定します。

でもそれは言葉だけでなく、
視覚や物体からのメッセージ(情報)も
無意識に思考と行動をコントロールするんですよね。

 

かなり単純にいうと、
ちゃんとカッコ良く見えると全部がイケているように感じてしまうんです、人間って。(笑)

怖いことにその逆も然りなのですが。

 

♦ カタチに残るものへの、カタチを与えることの責任

現実にはカタチを作る前の、
設計というかシステムから考えないと(デザインしないと)
カタチは機能しないのですが、
コミュニケーションの窓口になる要素を多分に含むのが表現のデザインです。

ブランディングやマネジメントでデザインの重要性が語られるのも、
機能とコミュニケーションの窓口を両輪として担うからです。

「表現のデザイン」と「機能のデザイン」、「設計としてのデザイン」などなど、
「デザイン」という言葉は一緒なのに、
文脈によって概念の階層が変わり、意味も変わるので、
もっとわかりやすく伝えられるようになりたいところです。

 

それではまた!

 

*** 今日の雑談 ***

先月にチームリーダーがTED的なイベントを開催し、
発表の際にそのTシャツを着ているのを見て、
デザイナーって後悔するようなものは本当に作れないんだな、とこっそり思っていたり(笑)、
現在トライアスロンチームは男性だけなので、
ウエアがチームに女子部員が増える一助になればさらに嬉しいです。(笑)

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