どこのSNSで見かけたのか忘れてしまいましたが(InstagramかTwitter?)、「息を吸うように言語化するのが当たり前のことで書くことをやめられない」とどなたかが書かれてました。

まだ書くことが息を吸うほどの当たり前な感覚になっていない私にとっては、この表現にちょっとしたインパクトがありまして、「そういう感覚ね!」と、程度感というか、身体感覚での到達レベルがわかりやすかったのです。

 

■ 消化して吸収して

イメージに沿うようにしていくと言いましょうか。

身体知化するためにそこへ向けてピンと神経を研ぎ澄まし、他者がイメージした感覚を、自分の感覚へと置き換えが終わると、もうできる状態になってるカンジ。

食べたご飯が細胞に栄養となっていきわたって、カラダが新しくできていくような。

 

■ 吸収した後は“出す”(笑)

で、言語化ですが、自分の感覚への置き換えはそこに言葉も使った方がスピードが速そうだし、何より自分だけの身体知化だと世界は私しかいなくて、人と分け合えないんですよね。それではつまらない。

食べたら出す!じゃないけれど(笑)、やっている最中に考えても動けなくなるだけなので(考えながら泳げますか?って話)、できないなら「なぜ?」と問い、できても「なぜ?」と問うのをやってから言葉に残す、あるいは疑問も浮かばなくたって感じたことに敏感でいられるように言葉を出す。

 

食事と違って出せば出るものなのだ、言葉は。

 

■ 湧き上ってくるような言葉

ぶわっと鳥肌が立つような言葉にもっと出会いたいです。それには「もっと本を読め」なんですけど。(苦笑)

「息を吸うように言語化」のように、言葉を書き留めていこう。

 

メモ魔にはまだまだなので“魔の領域”を目指して。(笑)

 
 

今日も読んでくれてありがとうございます。

それではまた!

 
 

*** 今日の雑談 ***

昨日は祖母に会いに。

祖母の干支は亥で、今年8回目の年女(96歳)だそう。人生100年と言われて久しいですが、9回目は108歳まで生きないと巡らないのを考えると、年女・年男っていうのは2ケタまで数えられないことに今さら気づきましたよ。

8回目でも十分長生きだけど、お寿司も食後のイチゴもおやつのチョコブラウニーもほおばってたから祖母の100歳超えは軽そうに見えました。(笑)

祖母の母も寝たきりにならずに100歳超えてたし。。。(さすがにもう亡くなってます・笑)